怪談社と言えば、これまでは伊計翼氏の著作によって触れてきた。
しかし、今回その怪談社で実際に怪談師として活動している著者が、初の書籍を発表した。
これを読むと、伊計氏の、特に初期の作品にみられた一種独特なノリ、アクというのが、おそらくはこの著者の影響で生まれたのでは、と思わせるものがあった。
正直、かなり鬱陶しい。
関西人の悪いところを凝縮したような押しつけがましいふざけた調子と悪乗り、独特の文体や筆の運びが、読もう、という意欲を明らかに殺ぐ。
そして、肝心の怪談はやはり何だか小粒で、あまり新味も無い。
惹かれる話も少なかった。
「窓の友だち」この前に読んだ「怪談火だるま乙女」にあった「リピート」と似たような話。
偶々声を掛けられて話をした、と思った同学年生。
しかし、実際にはそこに住んではおらず、話をした覚えも無い、と。
ところが、それから一年後に本当にその家に越してくることになったという。
それ程親しい友だちでもなかったそうなので、何故こんなことが起きたのかは、謎でしかない。訳は気になるけれど。
その同窓生がその後重病に罹ってしまった、というのは、偶然でしか無い気がする。
そのこととこの怪異にも何ら繋がりを感じられないし。
「十七年後」一度だけだけれど、予知で事故を避けられた、という。
予知によって現実を改変してしまった場合、それが後にどういう影響を与えるのか、それとも関係ないのか、考えさせられる。結論は勿論出ないけど。
「部屋にきたひと」部屋に飛び込んできたこの世ならぬ女から、「迎えに行くから」などと言われ続けたら、怖ろしくて仕方ない。
でも、今のところそれに対応する何事も起きてはいないらしい。
ただの悪戯、脅しだったのだろうか。
「乗車してきた男」ドッペルゲンガーのような話ながら、もっと奇妙だ。
これまで二人が鉢合わせして一方が消えてしまう、という話は時折あった。
しかし、このように一方からもう一方へと本人の意識が乗り変わってしまう、というのは聞いたことが無い。その時点で一人に戻ってしまっているし。
しかも、元々の意識として継続している名古屋で仕事をしていた、というのは間違いないようだし、なのにチケットは品川から。もう訳が判らない。
この不条理さ、そして自体のややこしさ、実に興味深い。
「箱に入った人形」誰もいない筈のブースから押し出される人形。そして、それを押す女の手。これは怖い。
元々この人形の登場自体は、誰か(人間)が置き去りにしたものなのか、それとも映像で見たように自主的に現れ出したのか。
最後、人形好きのところに行ってしまってくれて、本当に助かったと言えそう。
題名の通り、ほとんどが著者と体験者との対話(やり取り)形式になっている。
これが結構判り辛いし話のスピードを落としているし、とネックになっている。
時折、こうしたある意味野心的な叙述形式の作品が登場するけれど、やはり普通に語ってくれた方が、ずっと読み易く内容が素直に入ってくる。
今後、この著者の作品が出てきたら、買うかどうか迷うところだ。
それでも、もっと気になる作品すら無い本も結構あるし、幾つかでも面白い、と思えるものがあっただけましな方か。
そんなレベルで妥協しなければならない現状が、何とも残念ではあるけれど。
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糸柳 寿昭 竹書房 2021年05月28日頃